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   里親との出会い・交流 Bニーダーヴェルシュタット


      

   里親とのご対面は、パーティが開かれるBurgerhausの前でした。

     たくさんの里親が集合していて、到着する我々を、横断幕で迎えてくれました。

     バスを降りて皆でGruß Gott を歌って挨拶をした後、里親を紹介され、それぞれ里親宅へ行きました。

 

  ご対面

 

  里親との交流

 我々の里親はルーディさんご夫妻。ご主人は定年は過ぎたが、毎日車で
フランクフルトまで仕事に行っているそうだ。日本にも来たことがあるそうです。
白壁の綺麗な家に入ると、まずはニーダベルシュタットのスパークリングワイン
で乾杯!!。
 ご主人はカタコトの(?)英語を話すが、奥様はほとんどドイツ語オンリー。
私が「ラジオ講座CDでドイツ語を勉強中」と言うと、「それじゃあなたには、
ドイツ語で話すわ。」 と言われ、やさしいドイツ語で話しかけてくれたつもりのよう
だったが、あまり理解ができず、結局、電子辞書が頼りとなった。(Y.I記)

私はThomas Loehr氏のお宅にホームステイしました。レール氏はドイツ連邦銀行にお勤めでフランクフルトのオフィスまで約40分の通勤をされている。対面の時は奥様と17歳の息子さんが来てくれた。レール氏は仕事を早めに切り上げてこられたのであろう、家で懇談に付き合っていただいた。ほかに15歳のご子息がいる4人家族である。私が案内された部屋には男声合唱団GV.Concordia1839のTシャツがプレセントとして置いてあるのには驚いた。全員の泊まり所にあらかじめ配置しておかれた模様だ。奥様は交歓会だけでなく翌日の朝食会、昼食会の食事の用意に頑張ってくださった。
(H.Y記)

 

民泊はEL2005についでの2度目となりました。

Alwin & Sabine Heger夫妻(左)、右は指揮者 Martin Bauersfeld
いずれも、来日、およびフランクフルト空港でお馴染み。(K.N記)

我々の里親はBehnkeさん。家に入ると、「弁気」と額に
自筆で書いてあった。
  「こんにちわ」と孫2人が出迎えてくれて、おみやげの刀
で「エイヤー」


里親との記念写真です。(T.T記)

Hubert, Hilde Schliermann家。今回で3度目のおなじみさん。パーティの後は遅かったので,お互いに疲れてすぐに休みました。奥さんは足の具合が悪いらしく,行った週の金曜日に手術をする予定とかで,観光には来られませんでした。娘にも合唱団のポロシャツを下さったが,私の子供だからきっと大きいと思ったのか,Lサイズを用意してくれていましたが,あとでSサイズと交換してくれました。奥さんの英語はわかり易いし,3度目なのでくつろげました。
(写真)左:Schliermann家。 右:Schliermannご夫妻と。


善利休 ドイツで茶会3回開催

民泊先で、I 津さんこと善利休は紺色の和服を着て茶道具を出しお茶の手前を披露して、日本文化を紹介しました。里親のビリーと奥様は、お茶の作法を教わり茶碗を回しお茶を飲み、すっかり気にいった様子。ビリーは製作中の日本庭園が完成する2年後に再来し茶会を開いてと。善利休は、キール、ヴェルシュタット、リンブルグで、計3回茶会を開催しました。(K.T記)

ニーダー・ヴェルシュタットの里親は、ジミーことBernhard Brauburgerとその奥様。ジミーとは、皆さんご存じの、あの目立って五月蠅い、コンコルディアのトップテナーの彼です。前回の訪問時に、シングパーティーで斜め向かいの席に座り、会話し談笑して名刺交換も済ませ、一応面識がある積りでしたが、ブルガーハウスに到着後、里親・里子の対面式でびっくり!ドレードマークの口髭(立派なコールマン髭?)が無い、おまけにずいぶん若く見える、小太り(人のことは言えないが)ドイツ男が、俺だおれだと。えーっ!!
 里子仲間の石津さんとジミーに連れられて、トランクを持ってもらって、歩いて家へ。お宅には、綺麗な奥様と、向かいの棟からジミーのお母(お婆)さんがお出迎え、家の中へ。部屋、洗面所、リビング等家の中を案内してくれました。
 広い庭には日本庭園を造園中で、ジミーが手造しているとのこと。日本大好きの二人でした。土産物を渡して、品物を説明した後、部屋の戻り小休憩。着物に着替えた善利休が、食卓をお借りし、ドイツに来て2回目のお茶会を開催。ジミー夫妻は神妙な顔をして、お手前を味わっていました。
 ジミーから、日本庭園は2年後に完成するので、その時また来て、お茶会を開いてほしいと、善利休に話がありました。その後、着替えて、シングパーティーへ。猫は髭を切られるとおとなしくなるが、髭を落としたジミーはパーティでは変わらず五月蠅く目立ってました。
(K.T記)

里親のトルン夫妻は地元楽団に所属しておられ、奥さんはトランペット、旦那は小生と同じトロンボーン奏者でした。
以前日本にも来られ、奥さんがS井さんと一緒に写っている写真を見せてくれました。
旦那は男性合唱団の副指揮者。 但し、正指揮者のマルティンさんのようにピアノが弾けないとおっしゃっていました。
旦那は優しく力持ちで、一緒にお世話になったK平さんと小生の旅行バックを両手に提げて階段から下ろしてくれました。
ビックリしながらも感謝のお礼を述べました。(H.Y記)

会長のヘーガーファミリーが里親で,2005に次いで2回目。因みに2006来日中はこちらに一晩お泊り頂いた。皆さんより一日早く着いてその歓迎振りは別途書かせていただいた。双子の子どもMaedchen-Jungeは私の孫と同い年の12歳。すっかり大人びてたのでびっくり。パーティーでシュワルベン、コリブリスのユーゲントコアで歌っていました。(H.A記)

 ■2日間の1人ドイツ旅行
(ニーダベルシュタットに行く前のこと)
 2009年5月12日早朝、ホームステイ先のご主人の車でハノーファー中央駅まで送られ、わずか2日間の一人旅が始まった。実はこの日の朝、私は一騒動をやらかしている。前日夜、朝が早いためスーツケースへのパッキングを手早く済ませ、これで良しとばかり眠りについたのだが、朝の身支度で上着の内ポケットにあるはずの財布その他がないではないか。さては昨晩、バスから降りた瞬間につまずいた際落としたものとてっきり早合点し、宿泊先の奥様を起こし事情を話し、自ら近くの現場まで念のため捜しに行ったが、あろうはずもない。奥様は心配して、近くに駐車中のタクシーに訪ねたり、近くの病院に落し物の届がなかったか聞いてくれたり、うちへ帰って警察に電話をしたりこまごまと世話を焼いてくれていた。そうこうするうち、同宿の仲間も起きてきて、昨夜はみんなで転んだ現場を検分したけど何も落ちてなんかいなかったぜ、という話になり、そのとき初めて私は自分が昨夜着ていたジャケットの内ポケットから何も出さずにそのままスーツケースにしまってしまったことに気がつき、急ぎ開放して調べてみたら案の定、探し物はそこに鎮座していたというわけであった。たいへん決まりの悪い思いをしてご夫婦に詫びを入れるなど体たらくの一幕であった。ハノーファーからは8時41分発のシュツットガルト行きICEに乗車。なお、このチケットは、出発前、インターネットで購入したもので、ハノーファー〜フランクフルト間、2等大人一枚49オイロであった。途中はさして記すべきこともなく11時5分、予定より5分遅れでフランクフルト中央駅に到着、北のハノーファーを出発したときは晴天であったが、約300kmほど南のフランクフルトは雨であった。

(ニーダベルシュタットで)
 ヘーガー兄弟とマルティンさんの3人が迎えに出て、まずムジカーリエン・ペトロールという名の楽譜店に行く。かねてからの私の希望であった。そこで予定のコーラス譜を購入(ホームステイ先のヘーガーさんが奢ってくれた。)、ここでマルティンさんとは別れ、車はヴェルシュタット方面に向かいB3号線を北上。車中でヘーガーさんが今日のプログラムを明らかにしてくれたのだが、ニーダーヴェルシュタットの隣町、フリートベルク(ヘッセン)に行って昼食と観光を予定していると言う。フリートベルクといえば、私はアウクスブルクの隣町で私のホームステイ先がある町しか知らなかったが、ヘッセン・フリートベルクはなかなかの街であることが後ほどすぐに知らされる。ニーダー・ヴェルシュタットからは、ローターさんとジミーさんが乗り込み、ヘーガー兄弟とともに4人と私がフリートベルクのとある居酒屋に入る。名前は覚えていないがよく出入りするらしく、店主とは顔なじみのようであった。そこへルーディーさんもやってきてますます賑やかになる。ビールとドイツ料理でひとしきり腹ごなしを済ませた後、市の博物館に行くとガイドさんが来てドイツ語か英語で案内をするという。皆さん英語の達者な人たちだったので英語でお願いすることにした。博物館には、ローマ帝国時代ローマ人がライン川に沿っていまのドイツの地に進軍した頃の資料が豊富にありここフリートベルクも重要な場所を占めていたことをうかがわせた。街に出ると、小さいながら歴史巡回ルートが整備されており、14世紀半ばに建立された塔をはじめ城壁や庭園などが残され、見ごたえがあった。高さ85メートルという塔のてっぺんまで螺旋階段を登り、そこから見下ろすヴェッターアウとタウナス一帯の広い眺めは清澄な趣があった。ニーダーヴェルシュタットに戻り、夕はピッザ・パーティーだという。DB駅の向こうほど近くにある有名なピザ屋さんだそうで、ドイツではピッザは結構高級料理なんだそうである。昼間付き合ってくれた人のほかに、名前はいちいち覚えていないが、顔なじみの仲間がさらに6人ほど集まり賑やかに私を歓迎してくれた。翌日は、ヘーガーさんの勤務友達ウテ・クットナー夫人がかねてからの約束で娘のラウラ(高校生)と一緒にヘーガー宅まで迎えに来て、フランクフルトを案内してくれるという。私がお願いしていたプログラムは、ショッピングとシュテーデル美術館見学であった。彼女たちもコンコルディアのメンバーで日本にも来ている。私は2005年のお礼訪問時に偶然ラウラと隣り合わせになり、彼女が漫画を通じて大の日本ファンであることを知り親しくなったいきさつがある。車でまずマインタールにある彼女たちの住まいに案内された。そこから、母親のボーイフレンドの車でフランクフルトに行く。買物の第1目的は日本に忘れてきた黒ズボン、デパートのガレリアでちょうどぴったりのものを見つけ、次はお土産品。品物豊富なスヴェニーア店と伊東屋を思わせる文具店で所定の買物を済ませシュテーデル美術館に向かう。ここは日本でのドイツ語勉強時によく聞かされていて一度中に入ってみたいと思っていた美術館である。ところが、ドイツ人なら必ずしも誰でも行っている訳でもないらしく、(ちょうど、我々が上野の美術館をそんなによくは知らないように)、彼女も今回の案内のためにインターネットでいろいろ調べたらしい。首尾よく私の芸術欲は満たされたが、芸術は疲労も付きまとう。中のカフェで遅い昼食を取り、ニーダー・ヴェルシュタットに戻る。帰りの足はSバーンでフランクフルト南駅始発、フリートベルク行き(S6)。30分間隔で運行されている。私はもちろんだが、二人ともこの電車に乗るのは初めてとのことであった。ニーダー・ヴェルシュタットで電車を降り、かくして私の短い2日間のドイツ一人旅は無事に幕を閉じたのであった。(H.A記)

                                                             

 

                                                                 

   


       
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