里親との出会い・交流 Cリムブルグ


      

   里親とのご対面は、バスの発着場所に使うKatzentrumでした。

     我々のバスがKatzentrumに近づくと、我孫子にもホームステイしているZ氏が待っていました。

     時間があったため、1時間ぐらい市内を案内していただきました。その後バスでアイントラハト会館に向いました。

     会館にはテーブルが準備され、里親がだんだん集まってきました。

 

  ご対面

      

 

  里親との交流

 

 前団長の故Bernhard Roder氏のお宅に山下団長がお悔やみに訪れました。
 ここは前回訪問時の山下団長の里親宅で、奥様と息子さんが在宅されていました。

 20年11月8日にレーダー氏は書斎でパソコンを操作している最中に倒れたようである。
 66歳だったそうで、奥様は毎日墓地に通い続けたそうです。 
 団長は、母子と一緒に車で10分くらいのところにある墓地を訪れ静寂の中に横たわる
 レーダー氏の墓に哀悼の意を捧げました。(H.Y氏より)

Zeyenご夫妻が息子Stefan夫婦の家に
合流し、I氏が和服姿で茶会を催しました。
Zeyenご夫妻は2年前に我孫子に来た
時に茶会にはかなり興味を持っておら
れたようでした。

彼らはI氏のお茶には、しばし神妙な
面持ちでした。(Y.I記)

                                                    

リムブルグの里親、シュタインさん宅への宿泊はK野さんと二人でした。
私は里親へのお土産を、いろいろ考えて、手織りの草履にしました。
ドイツ人に草履は珍しかったようです。
色合いを気に入っていただけたようで、とても嬉しかったです。(Y.K記)

     

初の訪問組1992当時の会長 Heinz & Marianne Krah ご夫妻です。

出会いは6回で、民泊は3度目です。(K.N記)

里親はリヒャルトさん。 前回(3年前)と同じ里親で、再開を喜びました。
朝、庭の散歩をしました。 
野菜もたくさん植えてあり、身振り手ぶりで楽しいひと時。
夜は家内のコカリナで 「さくら」 「ふるさと」 などを一緒に歌いました。(T.T記)

右の小さな家がゲストハウス 貫禄のあるボブ君 Bendel ご夫妻と
 Werner, Irmgard Bendel家。 15,000uというとてつもなく広い敷地の家です。ゲスト用の別棟のゲストハウスがあって,そっちに泊めていただきました。最初の夜は,Y下さん,N嶋さん,Y岸さんとそのホストファミリーも一緒に晩さん会。Wernerさんが直々にバーベキューで豚を焼いてくれました。ドイツでは滅多に経験出来ない家庭料理です。他のホストファミリーの人達も色々作ってきてくれていて,おいしい夕食でした。とても大きな貫禄のある,多分ドイツシェパードがいました。翌日,庭を見せてもらいましたが,羊が7匹くらいと,あと豚が3頭,にわとりもたくさんいて,朝ごはんには産みたての卵のゆでたまご。広い畑もあって,ジャムのたぐいも全て自家製。蜂蜜もあって,これは自家製ではないというので「花は自家製ではありませんか?」とジョークを言ったら笑っていました。パーティの夜は,帰って1時間ばかりインフルエンザの話とか,原子力発電,風力発電の話とかをしました。奥さんが風力発電の風車は景観を損ねると,随分強硬に反対していたのが印象的でした。(T.M記)

         
リンブルグの里親は、モニカ・ユング と ヴェルナー・ユング 夫妻でした。モニカは市役所で働き、ヴェルナーは難民管理官を務めている公務員のカップルです。モニカは、レーダー会長が亡くなられた後新会長を補佐し、実質アインラハト合唱団を切り盛りしている様でした。今回も表舞台の会長、ツァイエン氏の陰で、パーティー司会・進行、通訳、観光案内等、私達訪問時のアイントラハト側の対応を任され、いつも大忙しでした。
 また、ご主人のヴェルナーも一番若い団員で、小間使い的に動き回っていました。家に帰ると、1歳半の男の子のお孫さんがいて、朝食の時には一緒に食事をしました。続けての、里親・子でしたので、ヴェルナーは今回も、 よく来たMy Friend 、ウエルカム、また来いよ、友よ!ヴィーダーゼーエンでした。(K.T記)

N嶋さんと一緒にクレンツァ夫妻にお世話になりました。小生からのお土産は日本酒(地酒)と血圧測定器でしたが、お二人ともやや高齢な為、奥さんが高血圧、旦那が糖尿病を患っていると言う。早速二人の血圧を測ったら旦那は正常、奥さんが170近い値でした。お役に立ったと喜んでいます。
 N嶋さんは私と同じ訪独2回目だが、英会話教室の経験があり、私と同じく和独のソフトを使ってはいるがその文例が私のような半端ではなく、ノートにビッチリと書いておられ、事前準備も良く積極的に夫妻と会話していたのには脱帽でした。
 お返しに陶器製のビール用ジョッキと、リンブルグの地名入りバスタオルを2人共頂き、思わずブンダーバル、ダンケ・シェーンとお礼を述べました。(H.Y記)

 

                                                                         

   


       
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