ドイツ旅行日記・5/14(ヴェルシュタット発〜バートナウハイム〜リムブルグ)
5月14日(木)は、昨夜の会場“Vereinsheim”Bahnhofstraseに朝食の用意がされていて、筆者の里親Loehr氏夫人や
ほかの里親夫人が忙しそうに立ち働いていました。
←朝食の用意がきちんと出来ていた会場
←レーレ氏の奥様が早くから会場で準備されていた
昨夜のパーティと同じ会場で朝食をとる→
朝食を済ませた後、里親の皆さんもバスに乗って、ニーダーヴェルシュタットに近いバートナウハイム(Bad Nauheim)にある
有名な温泉 「ユーゲント様式の浴場」 を見学に出かけました。
←シュミット先生ご夫妻が朝のバスを見送ってくれた
バートナウハイムは、かつて温泉が豊富に湧いていて岩塩の豊富なこととあいまって、健康に良い温泉として知られています。
バートナウハイムの建築様式は、ドイツ語で“ユーゲントシュティル”と言い、フランス語の”アール・ヌーボー”とよく対比される
そうです。 100年ほど前にこの独特な様式で温泉浴場が建てられ、貴族を中心に大勢やってきて、一大保養地として
有名になったそうだ。
お土産にいただいた帽子をかぶって出発 | 女性も同じ帽子をかぶる | バートナウハイムの建物 |
11時45分にユーゲント様式の浴場を出発してニーダーヴェルシュタットに戻り、用意していただいた昼食をとり、
GV.Concordia1839の皆さんに 「Muss i denn」 を歌ってお別れをしました。
←再びパーティ会場に戻って昼食をとる
←昼食も奥様方の手作りの料理が振舞われた
最後に皆さんと一緒に記念撮影をしました。
名残は尽きませんが、里親の皆さんとお別れの挨拶をしました。
←バスの前に集まった里親の皆さんとお別れの挨拶をしました
バスが見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれました。 Auf Wieder sehen ! ごきげんよう!
午後1時半にニーダーヴェルシュタツトを発った一行は、途中大変静かで綺麗な Weilburg の街を見学しました。
Weilburugの古い教会 | 教会からWeilburugの街を眺める | 静かな佇まいの教会の中には誰もいなか ったので、Heilichを歌う |
16時30分にWeilburug を出発し、17時にリムブルクに到着しました。
リムブルクでは、MGV“Eintracht”1863e.V.Limburg an der Lahn(アイントラハト男声合唱団)の事務局長・Helmut Zeyen氏が
バスの集合場所に早めに来てくれていました。
Helmut Zeyen氏は2年前に我孫子を訪問しており、我々の団員の家にホームステイもされている。
少し時間もあったので、Zeyen氏がリンブルグ市内を案内してくれました。3年前は旧市街を中心に観光したため、今回は前回
歩かなかったところを中心に散策しました。
Zeyen氏に、リンブルグ市内を 案内していただく |
木組みの家が美しい | 街のパンやさん。この店の奥様 はパーティで女声合唱を歌う |
店の外にテラスが出されている |
←リンブルグのドーム(大聖堂)
我々は合唱団の練習場のVereinsheim MGV-Eintrachtに案内された。
3年前に訪問した時も、この同じ場所に集まったため、懐かしい想い出の場所でもあります。
←合唱団の練習場のVereinsheim MGV-Eintracht
会館の正面に書かれた文字→
前回は会長のBernhard Roder氏がおられたが、残念ながら昨年11月8日に亡くなられ、新しい会長Rainer Berneiser氏が
挨拶をされました。
←新会長のRainer Berneiser氏が挨拶
また市長のMartin Richard氏が歓迎の挨拶をされ、大聖堂の町リムブルク市を説明した写真集をレオーネにいただきました。
レオーネからは団長が挨拶し、兜の壁掛けと、レオーネのマークの入ったバスタオルを市長に贈りました。
レオーネからのお土産の贈呈も4回目となり、「仕事で冷や汗をかいた時に、このタオルで拭いてください・・・・」 と、
団長の挨拶にも余裕が出てきました。
←かぶとの壁掛けを市長に贈る
日本とドイツの国旗のほか、合唱団の マークが入った旗もあった |
MGV“Eintracht”1863の団員が歓迎の歌を歌って くれました |
会場で里親と会い、お互いに挨拶を 交わしました |
その夜、筆者はナッターマン氏(Heinz-Georg Nattermann und Frau Maria)の家に宿泊しました。
3年前このリムブルクを訪れたレオーネの西脇氏から、その時の里親に手紙とプレゼントを渡してくれるよう依頼されて
いましたが、偶然にもその当人の家に行くことになりました。
さらにレーダー氏の奥様にも言付かっており、この家もご近所だということで容易に依頼を受けたことを果たすことができて、
私にとっては、「ナッターマン」 という名前は 「ヤッターマン」 になりました(笑)。