「千の風になって」の原詩の誕生秘話


                                              

     「千の風になって」のモニュメント

 

  6月の下旬に北海道(函館、大沼、洞爺湖)に行ってきました。

大沼の遊覧船に乗った時にガイドさんから「あそこに見えるのが“千の風のモニュメント”(4月25日

に完成したばかり)ですよ。」「ここが「千の風になって」の歌が誕生した所です。」という説明があっ

たのでカメラに収めた。

 帰宅後いろいろと調べたら、ここ大沼国定公園の湖畔奥の森の中に作曲者の新井 満氏の別荘

があり、その別荘で訳詩、作曲されたことが分かりました。

                                   

 除幕式には、新井満さんご夫妻も出席され「普通のモニュメントや記念碑は、自己主張が強すぎ

て、美しい景観を疎外するものが多いが、このモニュメントは控えめでとても良い。」と褒めていた

そうです。

           

 設計を担当した方は、再生をイメージし、自然石の“ななえ石”(地名の七飯町から)が大地から

力強く湧き出る形を表し、その頂点に御影石のプレートで『千の風になって』名曲誕生の地と配する

ことで、大沼に相応しい再生と風が吹き渡る姿をイメージされたそうです。

      

 

    「千の風になって」の原詩の誕生秘話

 この詩は、IRAのテロで命を落とした青年が「私が死んだときに開封して下さい」と両親に託した

手紙の中に入っていたり、マリリン・モンローの25回忌に朗読されたり、9.11 の同時多発テロで、

父親を亡くした11歳の少女が追悼式で朗読したこともあり、世界中に広く知られました。

 詩の作者は不明ということですが、最近アメリカ人女性:Mary Frye (1905?2004)によるものであっ

たといわれています。その詩の誕生の秘話は、メアリー・フライが若い頃ドイツから来たユダヤ人の

友が、祖国に残った母がその後亡くなって、ドイツの情勢が反ユダヤ人に向かっていて帰国もまま

ならなず、「母の墓標の前に立ってさよならを告げることができないのが一番悲しい。」と泣く友に、

傍にあった紙袋に一息に込み上げる想いを書き付け『これ、私の思う“人の生と死のあり方”なの。

貴女のためになるかどうか分からないけど。』と差し出したのがこの詩でした。

 一方、日本でも新井満氏が訳詩・作曲するに至ったのにも秘話がありました。故郷の友の奥さん

がガンで亡くなり、その追悼文集の中に「千の風」の翻訳詩を見つけて感動し、歌にして歌えば、

遺された友や3人の子供たち、また仲間たちの心をほんの少し位は癒すことができるのではないか

と、原詩となる英語詩を探して彼流の日本語訳を作り、それに曲をつけて歌唱したのがこの

「千の風になって」でした。 

 最初は私家版のCDを30枚だけプレスし、そのうちの1枚を友に送ったそうです。日米の奇しくも

同じように、友を気遣う詩・曲の誕生の背景を知ると、詩の一言一言が深い想いのある言葉として

伝わってきます。

   (以下 文芸春秋2007.9より抜粋)

 1990年、講演のため函館を訪ねた帰りに、友人から大沼国定公園の奥にある別荘を勧められて、

気に入ったので購入した。以来、5月連休、夏休み、秋にはここに訪れて1、2週間過ごしていた。

 この森の中で、鳥の鳴き声、リスの足音、キタキツネの遠吠え等が聞こえる。そして何よりも感動

したのは、風が森の中を吹き渡る音だ。『静けさ』の中に、無数の命のざわめきを感じ取ることが出

来た。

 1998年に幼なじみの川上耕氏の妻(桂子)が亡くなり、翌年彼女を慕う70名以上の人々による追

悼文集が作られたが、その中に「1000の風」なる作者不詳の西洋の詩が紹介されていた。

(翻訳:南風椎)

  詩の内容が実にユニークだった。『命は死を経ても終わらない。』『星や風や鳥や様々なものに再

生して、さらに生き続ける。』と明言する。この詩のように絆が決して失われてはおらず、その人が

様々なものに生まれ変わってそばにいると思うことができれば、どれだけ悲しみが癒されることだ

ろうし、遺族が精神的な死を乗り越えて、もう一度生きてみようと思うこともできるだろう。

 この詩にはそんな不思議な力が宿っているように思えた。私はこの詩にメロディーをつけて、川上

さんに贈ろうと思いギターを持ち出したが、何度やってもうまく行かず、一度は作曲を諦めた。

 数年後、ふと思って英文からの翻訳を試みた。優しい単語ばかりの文章だがどうしてもうまくいか

ない。そこで英文を朗読した後、瞼を閉じて詩のイメージだけを感じ取ろうとした。すると詩の一節

にある「a thousand winds 」の「winds」という言葉が大きく浮かび上がってきた。

 『風』?この時私は、大沼の森の中を自由自在に吹き渡る風を思い出していた。

風、鳥、草木はそれぞれ命を宿し、ざわめいている。そのざわめきは命の音。私はすでに大沼の

森の中で、この詩と同じ世界観、“再生された様々な命”に触れていたのではなかったか。 

 そのことに気ずいた時、名も知らぬ作者の心と私の心が繋がったように感じた。呻吟していたの

がウソのように訳語が頭に浮かび、作曲も5分で仕上がった。

 私はその曲のCDを作り、彼女の5周忌( 2002年) に流され、会場にいた人々はみな一様に涙した

という。それを聞いた私はホッとした。 

 この詩の力を借り、大沼の自然の力を借りて、妻を亡くした友人を何とか慰めることが出来た。 

私もいずれ死んで風になる。私の葬式にはこの歌をかけてもらえばいいー。 そんなことも考えて

いた。(2003年の夏)<天声人語>に取り上げられ、『千の風』は欧米では古くから知られている

詩であることを知った。 

 9.11の追悼集会、マリリン・モンロウの25周忌、映画監督:ハワード・ホークスの葬儀でも読まれた

とか。この記事の反響が凄く、やがてレコード会社と出版社から声がかかり、本と歌が正式にリリー

スされることになった。 

(2006年紅白で秋川雅史が歌い、2007年に日本レコード大賞作曲賞を授与される。)

                                                [  S.S 記 ]

       

  

                                                               

                                                                                                 



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